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2015.01.03 Saturday

祖父の事

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2014年12月27日、祖父がとても遠い所へ旅に出ました。


追記で先の私が振り返る為に祖父の事を。


趣味のブログに書くのは如何なものかと悩んだけれど、ここは私の記録なので記憶に間違いが起きないうちにちゃんとあった事を記し、自分が振り返る為のものとしようと思う。


12月27日、夕方、突然の祖父の訃報で、何よりも動揺した。

祖父はもうずっとベットの生活で、体中は骨と皮だけで、身体をどんなに優しく拭いてもそこに痛みが走る程だったし、床擦れも酷くて皮膚がぐちゃぐちゃになってしまっていた。
骨と皮だけだったから夏でも寒くて手袋をしていたし毛布に包まっていた。
母曰く、寒さに弱い人だったから本格的に寒くなる前に逝ってしまったんだねと。正にその通りだったように思う。

本人ではないからその本当の気持ちはわからないけれど、祖父曰く、長年真面目に懸命に生きたのに最期に過ごす時間が痛みばかりで辛いのはあんまりだと。本当にその通りだと私は聞いていた。

だから、正直私は祖父にこのまま辛い生を長生きして欲しいとは思っていなかったし、出来る事なら早く楽になって欲しいとも思ってしまっていた。

だから、訃報を受けた私は突然の知らせに動揺こそしたものの、その次に感じた気持ちは祖父に対するお疲れさまでしたという安堵にも似た気持ちだった。

翌28日が通夜式、29日が葬式と決まり、実家は辺鄙な土地にあり、その時出先でもあり喪服等は自宅あった為、28日に実家に戻る事になった。

実家に戻り祖父の眠る仏間へと向かうと、そこには祖父が横たわっており、顔には白い布がかかっていて、その顔を私は拝めずにいた。

その時の私は最期に見た祖父の顔で終わりにしたい気持ちと、最期の顔を孫として然りと見ておかなければならないのではないか、でもそんな必要はあるのかと葛藤していた。

親戚や祖父と関係のあった人、田舎ならではの風習で隣組という地域の組み分けの代表者、多くの人が横たわる祖父に会いに来ていた。母が喪主だったので挨拶をしたり葬儀屋との話をする中、私は家に来た人にお茶を出す役割をしていて、無限にあるわけでは無い湯飲みを洗っては出し洗っては出ししていた。
肌が強くなく実家の洗剤が肌に合わない事もあり、全てのお茶出しが終わった頃には指先の皮が剥けており、どれだけお茶を淹れたかわからないけれど、その指先が祖父の繋がりを物語っているようだった。

夕方、祖父を棺に納める時に関係者で順に祖父に白装束を着せた際、触れた祖父の肌は死後硬直とドライアイスで冷たく固く、顔は安らかなのにまるで作り物のようだった。

私は祖父が早く楽になればいいのにと思っていたので、祖父が亡くなったら泣かないと勝手に思っていた。
それは全くの見当違いだった。

それからの通夜式から始まり翌日の葬儀や火葬は和やかで穏やかなものだったと思う。

親戚は久しぶりに集まる人も沢山で、彼らは泣きもしたけれど久々の再会を楽しんでもいた。

でも私は、どうしてもそこに参加出来ず、ただ只管に泣いていた。

祖父は趣味と言う趣味が特に無い人であったけれど、私とよく将棋を指してくれた。
祖父は将棋がとても上手で、私は遊ばれていただけだったけれど、饒舌とは言えない祖父がこの時ばかりはよく喋っていた。
その時の顔がどうしても棺に眠る祖父とは重ならなくて只管に泣いたのだ。

実家から離れてしまってからは祖父と将棋を指す事が無くなってしまっていた。
祖父と将棋を指すのは私だけだったのに、なんでもっと祖父とその時間を過ごさなかったのだろうと、後悔が今この時でも拭えない。



祖父の最期は聞いた限りはとても安らかなものだった。
朝、腹痛を訴え病院に入院したいと言い出したそうだ。
杖をつき歩行が出来た為、救急車は呼ばず母の車で病院に向かい、病院に着くと腹痛は無いと言ったと言う。
検査等をして年越しは家で迎えようと母達と話し、祖父と別れる際、祖父は親指と人差し指の先を合わせ丸を作り、オッケーというサインをしたと言う。
それは祖父がよくやっていたサインで、眼を瞑れば容易に思い出せるものだ。
母達が病院から離れて15分程車を走らせた頃、病院から連絡があり祖父が息を引き取ったと知らせを受けたそうだ。
看護師が目を離したのは5〜10分程の事で、きっと祖父は長くは苦しまなかったと思う。
もしかしたら眠るようにすっと息を引き取ったのかもしれないが、ひとりで逝ってしまったのでそこはよくはわからない。
でも、長年苦しんで来た祖父なのだから最期の瞬間は楽に逝けたと信じたい。
母や叔母はひとりで逝かせてしまった事を悔やんでいたが、祖父はプライドの高い人だったから、死に際はひとりで逝きたかったのではないかと私は思う。
まるで猫みたいだ。
私は祖父と似た所が沢山あると思っているから、祖父の気持ちがわかるような気がするのだ。

だから祖父は、きっと安らかに眠るように、ひとりで静かに最期を迎える事が出来て幸せだったと思う。

年の瀬に悲しみは置いてきて、新年を新たな気持ちで迎えたらいいと祖父がこの時期に旅立ったのならばそれも実に祖父らしいと思う。

享年90歳、大往生でした。







もしここまで読んで下さった方がいて、翌30日にうちのスペースに来て下さった方がいたならば、その日のうちのバリケードをご理解頂けるかと思います。
泣き過ぎて頭痛いし瞼が腫れていて隠れたかったんです。
折角来て下さったのに本当にすみませんでした。

冬のお祭りに参加するのも悩んだんですが、家族一同翌日から普通の生活に戻るとの事だったし、気分を持ち上げたいと言うか、元気を貰いたくて行きました。
結果色々な方とお話が出来て元気を貰えたし、参加しなかったら家で只只管後悔に泣いていたと思うのでこれで良かったと思います。



とは言え、将棋で勝ち逃げされたので正直悔しいです。
私はどれだけ生きるかわかりませんが、出来る事ならいつかまた再会して爺様に勝ちたいです。
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